父は岐阜県中津川市の農家出身。高校卒業後、単身で東京へ上京し、設計会社に勤務しました。愛知県岡崎市出身の母は、父との結婚を機に上京。私、深谷けんじは、1974年(昭和49年)9月3日に生まれました。3つ年上の姉との2人兄弟。私が3歳の時に、川越の地に引っ越してきました。
わが家は、決して裕福ではありませんでした。父は、設計会社で毎日夜遅くまで働き、母もパートに出ていました。それでも、幼稚園からはスイミング、小学4年生からは少年野球をやらせてくれました。苦労しながらもいつも明るい両親のおかげで、わが家には笑顔が絶えませんでした。
中学では3年間、野球部で仲間と汗を流しました。高校では、ワンダーフォーゲル部に所属。北アルプス、南アルプスと日本の名峰をめぐりました。野球と山登りで鍛えた体力には自信があります!
高校2年生の夏休みには、アメリカ・シアトルに語学研修(ホームステイ)へ。海外での生活を体験し、異文化交流の魅力、差異を認め合う大切さ、多様性の尊重など、多くの気づきを得ることができました。
両親の思いに触れて進学を決意。1日10時間の勉強が実り、大学に進学することができました。
学生時代は深夜のコンビニでのアルバイト。マスコミュニケーション論を専攻し勉学に励みました。親友とマスコミ研究会を設立。様々な時事問題を学生の立場で研究し、評論家や学者を招いてのシンポジウムを開催。雑誌も発刊しました。この時の経験を通して、政治が果たすべき役割について真剣に考えるようになりました。
大学を卒業した1997年(平成9年)春、建物総合管理会社へ就職。文系出身でしたが、新しい挑戦をしようと思い、技術者の世界に飛び込みました。まったくの畑違いで苦労の連続でしたが、「職場の第一人者」になろうと、資格試験にも挑戦。難関である第三種電気主任技術者の資格を、当時の社内最年少で取得することができました。
資格取得後、電気主任技術者として大規模施設に派遣され、主に受変電設備、コージェネレーション設備をはじめとする電気設備の保安監督業務にあたりました。また、建築を含め、空調・自動制御・衛生・弱電設備をはじめとする設備全般の保守管理、修繕工事に関わる業務を担ってきました。現場では、職人さんと一緒に様々な苦労を共にさせていただきました。最近までは、施設のライフサイクル全体を見据えた維持管理、運営計画等の立案などのマネジメント業務を担当。全国を飛びまわり、総合的なマネジメントを行ってきました。
2014年(平成26年)の秋、それまで病気一つしていなかった母が入院。以降、入退院を繰り返しましたが、家族全員で支えました。16年(同28年)の夏、家族が見守る中、母は安らかに永眠しました。
母は、私たち家族には一言も弱音を吐かず、明るく前向きに生き抜きました。どんなときでも明るく、周りの人を励まし抜いた母のように、私も人に尽くす生き方をしようと心に決めました。
これまで、地元のパパさんサークルなどを通し、地域の交流に積極的に取り組んできました。また、多くの青年と交流を続け、青年や子育て世代のパパ・ママの悩みと向き合ってきました。
これからは、地域の人がより明るく笑顔で過ごせるような川越を目指し、県政の舞台で挑戦します!